1-3. 高校生から自立するまで

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高校に入ってすぐ僕は電気工事のバイトを始めました。母の勤めるクラブの常連Kが、その電気工事業の親方でした。学校の無い日はハイエースで現場まで運ばれ、朝早くから夜遅くまで働きました。建設現場での仕事は壮絶でした。必ず怒鳴られ、怪我が絶えず、命の危険を感じたこともありました。それでも、根性と肉体は相当に鍛え上げられました。

毎朝、通学で途中から駅まで一緒だった女の子がいました。高校は違うのですが同じ中学の出身で、中学の放送委員で一つ年上の先輩でした。剣道とダンスが得意な女の子で、皆から人気がありました。僕から素直に声をかけ、彼女と仲良くなりました。彼女の家族でも僕を温かく迎え入れてくれて、幸せな青春時代でした。

バイト以外の時間、僕は音楽に夢中でした。本気でプロになれると信じて、ギターを抱えメタル系のバンドで演奏していました。横浜のライブハウスを中心に大人のメンバーと共に活動して、インディーズでCDも出しました。経験を積みたいと考え、チャンスがあればジャンルに寄らず他バンドのヘルプも快くやりました。

電気工事の親方Kが、僕の母と結婚することになりました。そうなるであろうとは勘付いていましたが、K氏は気性が荒く、母も度々怯えている様子があったため、僕は結婚に反対の姿勢でした。しかし母は結婚を選択します。K氏の事業は急成長し会社化され、事務所兼住居の高級メゾネットに家族で引っ越します。突然、僕の家庭は金銭的に豊かになりました。

しかしこの生活は長く続きませんでした。結婚後にK氏の母に対するDVはエスカレートし、母は鼻血を出したり、肋骨が折れることもありました。母はキッチンドリンカーとなり、精神病薬を常用していました。ある日K氏が母を殴ろうと追い回し、母が僕の背中に回って隠れたとき、僕はK氏に反抗しました。その日をもって、僕は家を出なければならなくなりました。

僕はすぐに葛飾で住み込みの新聞配達員の仕事を見つけ、旅行バッグ一つで家を出ます。このとき持っていける価値あるものは、自分の知識や技能だけなんだと心から悟りました。このときの仕事は振り返っても人生で一番過酷な仕事でした。周りはギャンブルと風俗の話ばかり。所長からは何かと理由をつけられ給料が天引きされました。僕には帰る場所がここしかありません。僕の人生も落ちるところまで落ちたと、我に返るたびに涙が溢れました。

当時の僕にとって唯一の生きる希望だった彼女は、既に短大生になっていました。ある日、彼女からもう電話をしてこないで欲しいとハッキリ言われます。既に好きな人がいるとのこと。冷静に考えれば当然のこと。幸せな家庭で育てられた未来のある素敵な女性。僕と関わる理由は何もありません。僕の話を聞いてくれる人は、これで家族を含めてもう誰もいません。

僕は徹底的に落ち込んだ末、僕が人を心から愛せる人間なら、その人の幸せを心から願えないといけないと悟りました。そのとき僕は自分に自信が全くありませんでした。そんな人間と関わりたい人は誰もいません。僕は人生を変えたいという一心で、このときからエネルギーを大学への入学に全振りします。

専攻は物理学を選びました。理由は、社会の勝手なルールが影響しない数学を使い、現実の世界を理解しようとする学問だから。理系科目はまず図書館で教養系の本を借りて読みました。暗記教科は教科書を自分で吹き込んだテープを聞いて新聞配達しました。過去問は自分では解けないから解答を見ながら体験。そんな状況で、都内の国立大、理科大、中央大に願書を出しました。

母親は僕が家を出てからK氏とは別居しており、K氏から振り込まれる生活費で妹と共に横浜のアパートで暮らしていました。僕は住民票の都合で、一次試験の2週間前に母のアパートを訪ねます。そしてセンター試験が1週間前に迫る日の夜、母は睡眠薬を大量に摂取して救急車で運ばれます。僕はICUにいる母を前に、医者から今夜が山場なので覚悟しなさいと言われます。

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