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母は病院で一命を取り留め、精神病院に移ります。未成年の僕は現実に圧倒されましたが、当面のお金については保険外交員のおばさんが親身に知恵を貸してくれ、妹の面倒は近所のご家族が協力してくれました。そして受験には行くようにと強く勧めてくれました。混乱の中、僕は無心で受験に挑みました。結果的に受験したすべての大学に合格します。
僕は定期的に母と面会しましたが、その度に母からここから出たいと懇願されました。親子で気持ちを入れ替えて新しい人生を歩もうとも言われました。僕は必死になって医者を説得し、母は2か月で病院から出ることになりました。しかし無情にも、母が来て直ちに家庭は狂気的な修羅場と化します。僕は自分が壊れる寸前で、母と妹を置いて家を飛び出します。
僕は国立大に入学手続きをしました。お金は自分で何とかしました。大講義室に寝袋を持ち込み大学で暮らし始めました。大学には自分のロッカーや体育館の更衣室・シャワー室があり24時間使えるため生活できました。あらゆるバイトを詰め込み、寝る間も惜しんで仕事をしました。「実験」は準備とレポート作成が大変でしたが「講義」は試験さえ通れば単位がもらえました。
僕は数学・物理学研究サークルを設立します。サークル活動として人を集め、皆で学ぶ体でメンバーに数学や物理を教えてもらおうという魂胆でした。公式サークルは学内の施設が申請で使えるため、堂々と寝床が確保できます。サークルには優秀で変わった背景を持つメンバーが集まりました。僕はそこで皆と青春を謳歌しました。
いつものように講義室で寝ていると、深夜、講義室のすぐ隣の研究室にいるA先生に声をかけられました。A先生は他大学や研究所にも出入りしていて大学を空けることも多いとのことで、僕に鍵を預け研究室を自由に使わせてくれました。以後、電気ポットや炊飯器を持ち込み、サークルメンバーも引き連れてA先生の研究室に住み着きます。
大学の音楽棟にはピアノ練習用の個室がたくさんありました。夜中、時間が空くと僕は個室の一つを占拠してピアノを練習しました。ベートーヴェンのソナタやサティがお気に入りでした。ここでプロの音楽活動をしている学生にもたくさん出会いました。仕事や勉強に忙しい毎日でしたが、幼少期に諦めたピアノも、ここでは存分に触れることができました。
単位は1、2年生の頃までに詰め込んで取得したので、3年生の頃には大学生活にも余裕が出てきました。大学3年生になってすぐ、僕は自分でアパートを借りました。このころからバンド活動も再開しました。精神科の先生が主催するインカレの精神病理の研究サークルにも参加し知識を深めました。長く女性と縁がなかった自分も、急に9人同時に付き合ったりと生活もずいぶんと変わりました。
僕は就活はせず、大学院への進学に気持ちを固めていました。世俗から離れ科学者として宇宙の原理に思いを馳せたいと思っていました。そんなある日、イギリスで高校の物理教師を募集しているという公募を大学の掲示板で見つけます。日本を抜けだし心機一転、新しい人生を歩めるかもしれないと思い応募。試験と面談を経て僕は採用されます。大学を卒業して直ぐ、僕はイギリスで生活を始めます。