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イギリスで高校教師として僕は物理学を教えました。僕にとってこれは初めての海外でした。英語も苦労しましたが、それ以上に現地での生活に神経を使いました。貴族の馬が闊歩する交通規則、スーツや靴の手入れ、食事のマナー、階級の違い、社交場での振る舞い、これらはそれまでの僕の人生では全くの無縁で、恥をかきながらゼロから周りに教えてもらいました。
週末は街の社会人英語教室、休暇期間は大学の集中特訓コースに通いました。言葉の問題で支障が出ないよう授業は工夫を徹底しました。僕のクラスは面白くて分かりやすいと評判となり、試験の平均点も大幅に上がりました。一部の試験は他校が評価するしくみであることから、他校の先生が僕の授業に興味を持ち学校に尋ねてくることもありました。
夏季、冬季の長期休暇にはアイルランドやスコットランドを含めイギリス中を車で周りました。イギリスでは高速道路に通行料金がないので気軽に遠出ができます。教師生活の1年を迎えると、英国の教育制度を知る機会として、学校が研修の扱いでオックスフォード大学の物理科に1か月間、聴講生として通わせてくれました。
暮らしにも慣れ、貯金もできはじめてきたころ、僕は物理学をより深く探求できる機会を探り始めました。情報を集めていたところドイツに環境の良い大学があることを知り、僕はすぐにそこの大学院の物理科教授にコンタクトをして教授から入学許可を受け取ります。僕は2年間お世話になった学校に別れを告げました。学校は暖かく僕のドイツへの渡航を祝ってくれました。
新しい環境での生活が始まる前に、自分の心と体を休める機会としてバンコクのリゾートに1ケ月間滞在しました。子どもの頃から家族旅行の経験のなかった僕にとって、これは人生初のバカンスでした。プールやジムのついたコンドミニアムに滞在して贅沢な時間を過ごしました。世界にはこういう場所があると思い返せることが、今でも僕の心の安らぎになっています。
僕はドイツの大学院で物理学の研究を始めます。東西ドイツに分かれていた時代、この大学はカールマルクス大学と呼ばれていたこともあり、街全体に経済についても意識させられる気風がありました。この大学のある街は音楽でも有名であり、バッハを抱えていた教会や、ワーグナーが団長だった歴史的な楽団がありました。ここでは音楽に気軽に触れることができました。
僕は理論物理学を専攻していましたが、活動は実験が主体でした。博士取得後にドイツで規定の期間働くと永住権が得られることも影響して、外国人の多い研究室には企業がスポンサーとして入っていることは珍しくありません。自分のやりたい研究を続けるには企業との関係も重要であり、学問の世界でも企画を実現化させるマネジメント力の重要性を実感させられました。
それこそアインシュタインのような物理学の世界に憧れてドイツに来た僕にとって、僕には現代社会と研究活動とのつながりについて想像が欠如していました。好きなことを続けるためにも資本主義社会の原点をよく理解しなければなりません。僕はいままで避けてきたビジネスの世界で、利害に深く関連するマネジメントの経験を積むことを決意をします。