3-2. 起業と大手企業

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大規模なシステム開発に関われる機会を探した末、僕は財閥系不動産会社の子会社でSEとして働くことになりました。当時はポイントと連動したCRMが業界で注目されており、社内では時代に先駆けた大規模なシステムの開発が計画されていました。僕はそのプロジェクトのメンバーになります。そのころ第2子が誕生します。

並行して僕は自分の会社を北千住に設立します。事業のアイディアを自分の裁量で展開する土台を持ちたかったのです。海外のWeb制作会社と提携し、Web開発の事業を始めます。企画・制作は提携先がすべて対応しますが、僕はフロントの販売とPHP製オープンソースの組み込みを担当します。オープンソースを使ったPHPの開発は時流に乗り、需要は高まっていました。

プロジェクトに参加した商業施設でのCRMシステムの開発が完成を迎えるころ、僕は会社からマルチ電子決済システムの開発メンバーに加わるよう声をかけられます。この開発は、通信、鉄道、POSレジ、電子マネー、クレジットカード、広告、コンサルティングの会社が集まる一大プロジェクトです。僕は所属が施設から本部となり、PMとなる担当課長のサポート役を担います。

このプロジェクトで僕は、ベンダーコントロール、キーパーソン間の利害調整、ロビー活動、デスマーチ処理、といったことを経験しながら修羅場を乗り越えていきます。電子マネー運用会社の経営不振、ローンチ直後のシステム障害とその大々的なニュース報道、主要メンバーの失踪などにも見舞われ進行管理は大変難しいものでした。それでも僕はトラブルに耐性を発揮し、途中からは課長に代わり自ら矢面に立って冷静にプロジェクトを完了させます。

プロジェクトが終了すると、主なメンバーは事実上の退職かグループ企業内での異動となり、PMの担当課長は退職しました。僕は一緒に仕事をした大手通信系の会社から、自社グループのネットワーク監視システムの更改プロジェクトのPMをやらないかとの声がかかります。僕は大手IT企業でPMになれるチャンスとしてこれを快諾します。

このタイミングで僕は自分で起業した会社をたたみました。想像以上にPMの仕事にのめり込み、自分のビジネスに責任を持って進めてゆくことに限界を感じていました。次の大きなプロジェクトも既に決まっています。自分の会社の可能性は大きく感じていましたが、経営者の立場から逆に会社員としてのメリットもよく理解ができました。

僕は大手通信会社のPMとして、国家間通信の「接続点」を監視するシステムの更改を担います。いままで何度も更改が頓挫したいわくつきのシステムで、陳腐化が相当に深刻な状態でした。これは、半官半民的な社風による社内派閥とオタク研究者気質からの結果。問題は技術より体制であると読み、僕はここで過去の経験を生かし1年内でプロジェクトを完了させました。

このプロジェクトの過程で、技術の全体像を自分なりに俯瞰した気がしたと共に、変化の激しいIT業界を技術者として駆け回る生き方には息苦さを感じていました。開発PMを続けたくなさそうな僕に、会社は経営企画室との面談の機会をくれました。このとき僕は、経企室のような株主を意識した仕事ではなく、アイディアをカタチにする新規事業に関わりたいと強く自覚します。

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