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大手IT企業でPMをしていた僕は、開発PMではなく新規事業の立ち上げに関わる仕事をしたいと考え、社内の部署異動、改めての起業、転職などあらゆる方法での可能性を模索しました。起業のリスクについては過去の経験から理解していたため、下記のような条件に当てはまるベンチャー企業を視野に入れました。
- 代理店を介さないお客様との直取引をしていること
- お客様の持つ「コア情報」にアクセスできる仕事をしていること
- 大きな先行投資や在庫を必要としない商材を扱っていること
- 薄利多売ではなく利益率の高い商材を扱っていること
- 知的リソースのマッチングがビジネスモデルの基本となっていること
結果的に、大学や研究機関をお客様とする教育系のコンサルティング会社と、家電や産業機器メーカーをお客様とする制作会社の2つで話が進み、僕は制作会社に入社しました。その会社は、大手メーカーが自社から切り離す予定だった制作部門を、人と仕事をまとめて引き取ったことで急成長をしていました。
しかし僕が入社する丁度その時期、会社はキャッシュフローの問題で深刻な経営危機に直面していました。僕は入社してすぐに現状把握と受注見込の情報整理をして、代表と役員4名を交え対策を話し合います。対策は痛みを伴うものでしたが、今後の方針を定め、以後、僕は経営企画室の立場で役員のサポート役を担うことになります。
新体制での活動が波に乗り始めたころ、代表は突然、知人から紹介されたというT氏を経営メンバーに加えます。T氏は元SEとのことで、代表は彼を僕に紹介します。T氏は会社スキャンダルを集めたり、ライン部門をバカにしたり、ITの知識が怪しかったりしたため、僕は彼とは距離を置いて接していました。
T氏は代表をセスナやヨットに乗せるなど派手な方法で代表に近づき、いうことをきくヒラ社員を役員に登用し現任の執行役員を解任し、社内に新体制を築き始めます。僕もT氏の策略で代表から完全に嫌われてしまい、口もきけない状態になります。ここで経営企画室はあっさりと解体させられます。
T氏は自分の拠点として札幌法人を立ち上げます。このころからT氏のツテ先への高額発注、経理の女性社員との特別な関係、社宅の目的外の利用等の動きが目立ち始めました。この事態を受け、結果的に代表はTを解雇します。僕はそのころ窓際の雑用をしていましたが、T氏に残された新役員のマネジメント経験が浅いため、僕は事業計画等から新役員のサポートに入ります。
僕は雑用係の間、面倒な案件を可能な限り引き受け、その案件を原資に外部リソースと連携し生産性を改善しました。その過程で外部リソースの法人化も手伝いました。またクレーム対応にも積極的に関わることで、埋もれていた新しい課題を元に高付加価値のサービスを展開させました。リストラが続く中あぶれた仕事はすべて引き受け、僕は売上を計上し続けました。
扱う案件の規模とお客様との関係が広がってゆくで、僕は役員よりチームリーダーを任されます。社員に指示が出せるようになったことで、実務をどんどん人に任せ、自分はより外部の会社との連携や新規事業の開発に力を入れていきました。コンサルや年契約の仕事から成績が顕著に表れると、僕は代表と再び話し合うことができるようになりました。
ここから一挙に飛躍を計るため、私はグループ全体の再整理に関わります。国内外の複数拠点を再定義し、責任分解を明確化します。その中で放置状態となっていた札幌法人の活用を計画。定期的に札幌に出向き新しい活動のフラグシップとなるべく働きかけます。またこのタイミングで、上流工程の仕事が中心となることを鑑み、組織の部署名を刷新します。
札幌法人の生産は効率化され新サービスも提供できるようになりました。結果、収益が大幅に改善されました。ここで代表が札幌の経営に急に関わり始め、自ら社員に対してあれこれ指示を出すようになりました。僕の考えや動き方と相反することも多く、まともな話し合いにもならないため、指揮命令の混乱を避けたく僕は札幌の直接的な経営からは距離を置きます。
東京にフォーカスを戻した僕は、残っていた2名の旧役員の内の1名を営業の責任者に、もう一名を制作の責任者とします。札幌で実証したプロセスを同様に進めると共に、特に営業手法を強化。旧役員の退職が続く流れで僕は東京本社の副社長に就任します。またこの時期、協力会社と構築してきた活動を法人化し、社団法人の理事を担うことになります。
コロナ禍に入ると、お客様のメーカーが軒並み新製品開発の中止を発表します。それに伴い会社の業績が大幅に悪化。改めて会社は危機的な状況となります。そのような中でも回復のカギは札幌にあると判断し、札幌の再建を社長に提案。僕は再び札幌法人を原動力として業績を危機を脱出させます。その年、僕は札幌法人のCEOになります。
この流れの中で、グループ全体の事業継続性を鑑み根本的な経営体制を今後どうしてゆくべきかを課題として、現在に至ります。