上の立場の人から「変化しなければならない」などという話を聞くと、余計なことに巻き込まれ消耗しそうな気がするものです。不可抗力の変化は甘んじて受け入れるしかありませんが、自ら変化を起こすようなことは、好きな人たちだけでやって欲しい、という気持ちにもなりがちです。
変化と聞くと何かと挑戦的でリスキーな感じがする一方、変化しないこと、つまり不変に関しては、安定、安全、固定、定常、伝統、といったなにか厳かで筋の通った概念にも感じられます。例えば、家族や恋人、親友のような人間関係や、自分の帰る場所についても、不変であることを望みたい気持ちがあります。
実際は、家族も伝統も決して不変ではなく変化を続けているのですが、不変を信じたいと願う気持ちが先行し、その事実を意識することがなかなかできないものです。
変化するというのは、いまとは違うことが起きるということであり、予測しにくい状態、理解しにくい状態、つまり不安な状態を含むことになります。人はできる限り先が予測できる状態でありたいと願うものであり、そういった意味で人が変化を恐れるのは至極当然のことともいえます。
万物流転、諸行無常。すべてのものは常に変化をし続けます。実際、自然災害やパンデミック、新しいテクノロジー、政治情勢など、私たちの力では直接的にはどうにもならないことが私たちを動かしてゆきます。しかしそれらの事実について理解はできても、実際に変化に対応しようと動き続ける人は極わずかです。変化の末にどうしようもなくなって初めて動き出すことが多いのです。
新しいシステムを導入しようとするとき、新しい業務改革をしようとするときなど、特にこの傾向を身をもって感じることでしょう。変化は身近であるにも関わらず、とかく人は変化を望まないということは、十分に理解・自覚しておく必要がありそうです。